2014年08月31日

8月31日は嫌い、という人生。


ああ、8月が終わる。
日本は(世界も)、酷い8月だった。

個人的には9月からは凄く忙しいので、今晩は憂鬱。
っていうか、生涯を通して8月31日になじめない。
愚息連が小さい頃は、地獄の8月31日だった。
工作のでっち上げやら作文のゴーストや、上履きが小さくなっていて買いに走ったり、通信簿の保護者欄に何も書いていないことに気づき慌てて書いたら誤字脱字で、こんな親じゃあしょうがねえなと先生は思うだろうなあと慌て、直そうと思って修正液ツンつくすると固まってて深夜とか。もうやだ〜(悲しい顔)

それに、夏って、アレをしようコレをしようと思っていて、結局たいしてできないんだよね、そりゃ暑いからね〜。その不完全燃焼感が8月31日を覆う気がするわけ。って私だけかもしれませんが。




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2014年08月23日

八月納涼歌舞伎、三津五郎の復帰が嬉しい。


歌舞伎座前2

久しぶりの歌舞伎座。Mちゃんが最近は多事多忙で、やっとやっとの観劇ができる日が空いたとの連絡で早速。Mちゃんがそう言う日は、不思議と真ん前のど真ん中とか、すっぽんの脇とか、凄く良い席だけが2席空いているという奇跡?が起こる。頑張っているMちゃんに、歌舞伎座の神様がほほ笑むのか、この日もそう。
御実家の御見舞いも済ませて来たMちゃんにも、良い夏休みができました。

歌舞伎座前
二部、『信州川中島合戦』と『たぬき』。歌舞伎らしい、パキッとした所作が決まる絵になる作品と、口語が分かり易く愉快な大佛次郎作品とで、久しぶりの私達にとって抜群に良い取り合わせだった。

『信州〜』では、もともと好きな扇雀さんの、お琴を弾きながらの命乞いやら凛とした風情、ますます好きになってしまう。厳格なお姑さんの萬次郎さん始め、「あ〜今歌舞伎見てるわ〜」って思える品格があった。

そして『たぬき』。凄く嬉しかった。まず、勘三郎丈を失って、福助さん療養中で、どうにもさみしい穴を感じる上に、三津五郎さんの手術療養と不安な感じがしたが。いやあ、三津五郎のたぬき、スッキリと明るく佳品。ゲラゲラ笑えたし。ホッとして嬉しい。
大店の旦那、死んだはずの男(三津五郎)が、棺桶から転がり出て来て、実は未だ生きていた。焼き場の爺さん(巳乃助)が、その男なりの人生観で(そこが上手い)喜んでくれるが、男がふと、考えつくのは、喜んで生き返ることではない。亡くなったまま、第二の愉快な人生を密かに始めること。しかし・・・。
前半の、チャラチャラっとした遊び人の、明るい軽みのある男と、後半のニヒルになってしまった男の二面の対比が鮮やか。それだけに、もともと有った人生に戻ろうとする男が、花道をゆく最後の、この世の深みを知った後の吹っ切れた潔さが、スッキリ沁みた。療養を経ての、三津五郎さんの姿にも重なり、本当に感激。
最初の、焼き場でお焼香する、プライドが高そうな奥さんの扇雀が、前の芝居の後に相当早く拵えての登場だろうが、とても良い。ここっきゃ出て来ないが、主人公が帰らない本宅ってものの雰囲気を支配するキーポイント、黒羽織の背の風情から何から。でも、ただ冷たいだけでは、ダメ。やはり思い起こせば、そこに還るべきという、広いものが出てなきゃで、大変な立ち位置。
他にも、いい役者さん一杯で、又まとめたい。
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2014年08月18日

8月16日からの、酷く長い戦争。

8月15日に終戦、ハイそれで終わり、復興に向けてアクティブな日々、だったわけじゃ勿論なくて。ツイートと重複してしまいますが、それからが庶民の、長く悲しく酷い日々だったわけ。

『野の草を 食べて命をつなぎたる〜』と詠んだ亡父は、それ以後の長い長い日々、20代の殆どを凍土のシベリアの捕虜収容所での強制労働と餓えと寒さ、仲間の連続する死、の日月を耐えた。以前は、たいして気に留めていなかったが、今の愚息連と同じ年頃の出来事であったかと思うと壮絶なリアルとして迫る。

伯父は南方で生死も分からず、婚約者は長い年月を待った。それでも帰艦できた人々はまだしも幸福で、姉の高齢の姑達は、生まれたての娘を餓死させ、見知らぬ土地に埋めて浮浪して来た。
彼らが帰国してからは、入院生活や学業への復帰や就職など、国家がその後の生活になんら援助してくれたこともなく、病弱に陥り辛酸を舐めた仲間も多い。
父も学業をやり直し、就職し結婚した頃には既に中年になっていた。

そして。終戦を知った上での空襲で失われた、今を生きるはすだった子供達の命の、その本来あるべき生を改めて想う。

ラベンダー
(亡父の庭のラヴェンダーの名残の夏)



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2014年08月17日

7月の着物部活動

7月もYちゃんと着物部(平松画伯にインスパイアされて以来の)活は、しっかり行いました。
まず、青梅白木屋さんまで行って、糊糸目友禅作品を沢山観てお勉強(その物量に美術好きYちゃんも驚嘆)して堪能。それから別の日には、後輩Cちゃんお薦めの表参道アクアビットで、お店の方に写真撮って頂きました。スミマセン(私達って家で撮った写真極少につき)。ヘルシーで美味しかったです。

アクアビット
後ろに、お酒が並んでいるのでほろ酔いみたいですが、お酒なんて全然飲まず。ひたすらお喋り。
なにを?って、夏の着物の苦心譚や物欲や妄想(笑)。結髪の発見や大失敗などの報告大会でもある。
Yちゃん母上の紬のコートをリメイクする相談などの、お直し案件も決議。
その後また、カフェに入り直して延々。
終わりなき失敗譚と妄想が楽しくて止まらないという、ビョーキ。

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2014年08月15日

芸術がバクハツしていない、岡本太郎『母の手紙』1941年版装丁。

母の手紙

実家の本の連想で、また思い出したが、これは以前撮っておいた岡本太郎の『母の手紙』戦前の初版。函。
「紙手の母」ではありません(笑)。岡本太郎の本の装丁は、戦後はバクハツ系の太郎流が多いと思うが、このシンプル。撮影後トリミングして自宅送信したので、装丁画家を写すのを忘れました。出版は「婦女界社」っていうところで、名前がたまらなく戦前な感じ。太郎にしたら柔い感じの社名?

でも、とっても良い本で、この一家の一平・かの子・太郎の関係性が濃く優しく沁みてくる。やはり、芸術の系譜ってある。岡本太郎って、凄いマザコンだと思うが、それは良い意味で、何を描いていても私には岡本かの子に見えてしまう。いやあ、母親が岡本かの子って・・・それ強烈に芸術パンチくらって赤ちゃん始めるようなもので。。。そりゃすごいわ。
ところで、太郎は、あんな晩年のTV出たりしているのからは想像できない、良い息子で長子なんですよね。
一平が再婚して亡くなったあとの、超年下の妻子の面倒を見て援助したんです。
家父長制はバクハツだ〜、なんてせずに。きちんとね。

太郎の美術館に行きたくなって来た〜。また見直されているそうですが、見捨てたことはないし、私たちの世代には万博の太陽の塔のおじさんだし晴れ。母の手紙は、「紙手の母」じゃない新しいのが図書館にもあると思うので、お奨め。周辺文学好きの私にはたまらない部類。
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2014年08月13日

谷崎『鍵』の装丁、棟方志功の晴れやかなエロティシズム。

谷崎・鍵

これは以前にもアップしたが実家に有る1957年版の谷崎潤一郎『鍵』の、函。今回は見返しや扉の部分も撮って来たが、中の挿絵(白黒の版画)といい、もう本が、装丁の中心で愛を叫ぶ(笑)というか、完全に装丁と作品が二つで一つの世界を支えている。『鍵』を超えてさえいる気もしてくる、迫力である。
鍵2

棟方志功は、女を徹底的に彫っても、どうしてか、いやらしくない。女体に崇高さを与える天才である。どんな崇高そうな女でも、陰ったエロティシズムがあるかにサッと書ける谷崎とのコラボは、共鳴しあい且つ反発しあうような一本勝負感満々の挿画であり装丁。
鍵3

何をいいたいかと言うと、本ってやっぱり、函や見開きの質感やデザインが、まさに扉。扉を開けて次元を超えたい。そのズシリとした重さも大事。電子的に字面を追うのとは違う重みを、期待感と共に手で持ちたい。古い感覚かもしれないが。
と、しみじみ思わせる棟方の、この、晴れ晴れとしたエロティジズム、わーん。


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2014年08月12日

昔日の浴衣、パリッ。

実家には〇十年前の、いにしえの我が浴衣も保管。学生時代に作ってもらった時は、「ヤダわーこんな赤い花、お母さんのセンス疑う」と言い、着なかった。子供が生まれてから、転勤先のお祭りで着たかな。その後も、数年に一度思い出したように着て(着る度に花が赤くてやだった〜)は洗濯機で洗い雑にアイロン。お稽古でも着たが(それには裄が短い)、最近は実家に眠っている。

染め浴衣
しかし、しみじみ今回落ち着いて見て、結構染めが良いなあと見直した。なかなかいいデザインではないか。自分に娘がいたら、隅田川の花火見に行く日に着せたい。しかしその娘はまた「何これやだ」とか言って、デパートかスーパーで新しい既製品を買わされるんだろうけど。何十年も経ったと思えないほど、仕立て当時の残布との差がない。裏もキッパリ同じ色であって。

梅に橘の浴衣
以前にアップした、同じ時に同じ呉服屋さんで作ったのがこの梅で、これは気に入っている。この2枚と黒の塗り下駄(赤い鼻緒)・赤い博多の文庫の付け帯をフルセットで引っ越しでも帯同していたんだっけ。しかし、赤い文庫の付け帯なんて使わないから捨てちゃったなあ。
この梅に橘も、上の赤い桔梗も、裏地も表と同じくキッパリ染まっているので、裏返して仕立て直すこともできるんだ!と思う。昔だったら。
少女時代に読んだ『美しいポリー(昔気質の一少女)』で、洋服を裏返して仕立て直すっていう節約術が出てきて、思わずいろんな洋服の裏側を見た私だったが、それって表地じゃないじゃん!って思った。が、昔の浴衣でだったら『美しい少女ぽりえ』ができる気がする。和裁できないけど。

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2014年08月11日

『父の帽子』新装版初版と、森茉莉と山田ジャク訃報記事など。

実家で、一生懸命探したが、前回見失ったスクラップブック(茉莉や杏奴の新聞・雑誌寄稿の切り抜きを、昭和30年代から母がファイルしてあったもの)が見つからず、残念至極。もうやだ〜(悲しい顔)森茉莉関連検索でお越しになる方々にもお見せしたかったのに。亡母は、切り抜き魔で、生活関連情報の各種のスクラップもあるが、実生活に活かした形跡はない。幸田文他の女流作家の切り抜きスクラップもあるが、そこまで手を伸ばすと私も混乱してくるので今はやめておく。ただ、コンピューターでのデータ処理がされる前の記録としては、大事にしたい。
お能・歌舞伎・日舞などの有名な方々の記事切り抜き帳もある。読み切れない。

父の帽子
これは『父の帽子』の新装版初版であるが持って帰った。初版は1957年であるがこれは1975年版である。当時でもまだこのように、本というものが箱に入りパラフィン紙で包まれていたことが分かる。
この本を開いたら、スクラップ帳とは別な新聞切り抜き記事が挟んであった。茉莉の訃報の記事と、それに関する天声人語・池田満寿夫の追悼文である。また小さな記事であるが、山田ジャク(森鴎外命名のジャクの漢字は誤変換の恐れありでカタカナで)氏の訃報である。親子をセットで、挟んであったわけだ。
興味深く、大切に読みたい。にしても、新聞の字が小さかったんだな〜。
山田ジャク氏に関しては東大名誉教授で、フランス中世語学・文学の領域で活躍したほか19世紀の小説家フローベールの研究でも知られる、とあるが、茉莉の長男であることは書かれていない。鷗外の孫であり茉莉の第一子であったことは山田家の歴史にとってはどういう位置づけだったのだろうか、と改めて思う。

森茉莉・山田ジャク訃報
今度ゆっくり、写し書きします。訃報の扱いはなかなかに大きかったことに気づく。

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2014年08月02日

8月の水森亜土、カレンダー。

8月になっていても、カレンダーあちこち、めくり忘れているわけで今朝めくる。めくるめく朝である、違うか。
カレンダー
おお、今月の水森亜土は絵は縦で日付が横、女の子が立っている。 
毎年末、姉がカレンダーを送ってくれるのだが、今年のは水森亜土だったプレゼント。なので、朝起きてすぐ目につくところに下げている。

水森亜土と田村セツコ展という、昭和少女漫画月刊誌付録世代には号泣甘美脳内クリームソーダ化ものの(?)個展へと、Mちゃんと行った話はだいぶ以前に書いたが。水森亜土氏の油絵は、そんな感傷にカウンターパンチの画力で驚いたのであった。欲しい油絵があったが、私には高くてそのまま帰って来たけれど。うーん、いい絵だった。・・・いにしえのあの亜土ちゃんグッズの筆入れとか、カップとか、まだ実家にあるが、もうこんな歳になったんだから、油絵をバーンっと買って亜土美術館作るくらいのことをしないと、大人になったと言えないだろう。しかし、亜土ちゃんグッズ集めたり田村セツコ集めたりしてた少女は、今頃もリボンや綺麗な缶を集めてたりして、そゆ経済界ツワモノに育ってない気がして残念。自分も。
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2014年07月29日

波頭文の帯でクールダウン

波の帯

暑い日々です。憂き事多き日々ですね。

・・・今日は、以前にも載せた波の帯です。
初めて、(いろいろと学習して)自分でぞっこんで求めた、黒地の絽塩瀬の染め帯。
なかなかの迫力で、暑さを制します。

ところで、夏襦袢続きですが、本日は上衣は正絹替え袖を縫い付けた半襦袢・下はシルックの変わり絽の裾除け。上下バラバラの組み合わせにしてみた。正絹の袖はべたっと付き暑くなりましたが、化繊の裾除けはサラサラ涼しかった。こればっかりは、日に拠るのか。

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2014年07月28日

真夏の着物お袖下比べ、というか我慢大会というか。

真夏の着物姿の、表から裏からがすべて、美しい画になっていたのは映画『祇園囃子』の木暮実千代さまと若尾文子さまが極致であると思う。嗚呼。

それとは、全然関係ない。あまりにも。
夏の襦袢は、洗えるものしか使えない自分。帰ってから水洗いできないということがストレスになるから、1枚だけ持っていた絽の長襦袢は、どうしても着る気が起きなかった。
最初に作ったのはゑり正さんの東京催事で(既製のは裄などが合わず長襦袢を持って行きサイズを計って作ってもらった、あの頃は熱心だったなあ)、身頃がさらし木綿でお袖と裾除け部分が東レシルックの、変わり織みたいな化繊の絽。二部式。しかし、これだと、振りから見える襦袢袖が、真っ白でポリエステル的なのが気になってきた。ポリエステルなんだけどね。。。
そこで、実家のそばの呉服店で、「洗える正絹の絽」の襦袢地を見つけ二部式襦袢に作ってもらった。一反から、半襦袢部が2枚・裾除け1枚ができて、半襟も洗える半襟がついてきた。わーい。これだど、袖口から除く部分も、正絹の絽と同じ色合いと質感。正絹なんだけどね。するうちに、こういうのは紬なんかとはテイストがちがうんじゃないか、正装っぽくて。と気になってきた。
そこで通販でみつけた麻と綿の混紡の二部式襦袢を注文してみた。うねってシボシボ。ところが、洗うと超絶縮んで象がネズミになったくらい驚く。うんしょうんしょ伸ばして干して、えんやこらアイロンかけ。やだ〜。
そんなこんなだったが、洗えない正絹の(つまり普通の)絽の替え袖が欲しくなった。なんかそこだけでも正統な方が冠婚葬祭によいかな〜とか、そゆ心理になった。それで、マジックテープで替え袖をつけるタイプの半襦袢に、わざわざ正絹で作ってもらった袖を、チクチク指も指しながら縫い付けてみた。

絽の袖

・・・ってなことを7年やってみたわけだけど。どれが涼しいかって、う〜ん。正絹の絽はペタ〜リってくっついてくるので暑いし、シルックの変わり絽はサラサラしてていいんだけど化繊だと思った途端に暑くなる(ホントも暑いのかよくわかんない)。シボシボ綿麻は涼しいような気もしないでもないが、その形状維持が私を暑くさせる。着物地との相性もある。
正絹の絽は、こげな小さい面積をドライクリーニングに出すってのもどげかね、と思って使えない。でも今年使います。・・・・というわけで、もう買えないから、この回路でぐるぐる悩みながら、正絹絽長襦袢も併せて着倒して生きてゆく所存。
裾除け部


DSCN4707 (2).jpg
先週、稽古とショッピングは車移動。前回と同じこの無地の帯はホントに便利〜。初期買い物なのに後悔がない夏物の唯一。








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2014年07月26日

浴衣のときなんかの、麻のプチバッグの話。

今月中には、和室を片づけて、スーッキリ盛夏を過ごす予定だったがビミョーにストップする。

う〜ん、変なものを買わなきゃ良かった〜、など凹んで余計に暑くなる。
ところで、以前母に頼まれてテーブルクロスを買いに行ったデパートの、リネン類のあたりで夏の終わりのセールでポーチみたいなバッグが出てて、なんとなく買ったのがある。

麻のミニバッグ

これは浴衣の時に便利で、携帯入れも付いていて(アイフォンもむりくり入れる)それだけでも使える。浴衣の時に和装っぽいバッグって合わないし、かといって洋服の時とは違えたほうが爽やか。小銭入れと扇子とハンカチティッシュくらいが入ればいいんだし。夏祭りや花火の大混雑に、大きなお財布や大事なカードを口の開いたトートに入れているのも危ないでしょ、って煩いオバハンみたいな言い方はまあ、やめとこ。

麻バッグ・横

これ、最初はどーでもよい持ち物だったんだけど実は、経年して後にですね、なかなか可愛い涼やかな触り心地とキチンとした縫製のプチさが、愛せてきた。愛は、やっぱ最初より後年だから短期で離婚はしないで数年待った方が良いかも知れないが相手によるか。
麻バッグ正面それで、見て一瞬で買ったので、今頃になってひっくり返してメーカーの小さいタグを読む。「井上企画・幡」と書いてあって電話番号は関西な感じで、井上さんってお宅で内職で作っているような雰囲気がしたが、ネット検索したら、奈良の立派な麻製品の会社でしたわ。やっぱりね。持ち手は真田紐だしね、って・・・。別のも欲しくなり片づけが止まる止まる(笑)。

肌が張りつめて美しい若い女の子が、髪なんか簡単にポニーテイルで結わえ藍をのきっぱりした染めの浴衣に塗下駄を履いて、こんなバッグをユラユラさせて小走りに、仲良しの女友達か彼氏かの待つ場所に向かってゆく夏の宵の小道の、うるわし。と、真夏の妄想。




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2014年07月23日

巴里で演じた「能」、森茉莉の記憶に遊ぶ。


お能を観るようになってから、何度も脳内を横切るのが(笑)、森茉莉の随筆に拠る(『記憶の絵』等)『巴里で演じた「能」』である。

1922年ごろ(ニジンスキイ夫妻率いるロシアのバレエがロングランを続けていて、巴里のメディアもこぞって報道していた頃らしい)のパリにて。夫・山田珠樹のパリ留学に同行した茉莉の目はさすがに、鷗外の娘であるからブララブ遊ぶ呑気な若奥さんをしていたようでありながら(いいよね〜息子は日本で保育していてもらえたし)、見るべきものは見つ、で、くっきりと詩のように絵のように瞬間瞬間を記憶し、晩年にひとひらふたひらと表出し、愛読者を魅了した。

さて、珠樹等とおなじように東大からパリに留学していたホテル・ジャンヌダルクで同宿の「石本巳四雄という人が」(という、と書いているが石本は著名な地震学者で東大地震研の基礎を作った教授)「10年お能を習っているということが大使館方面に伝わって」、200人くらいが入れる小劇場で、お能の公演をしたというのである。10年くらいお能を習っているっていうレベルにもよるが、当時の日本大使館職員などからみても相当な上手さだったのか、どうか。とにかく満員の演能だったとある。
しかし、ここに至るまでがコントめく。山田珠樹(後年の東大のフランス文学者)その他が、謡を「インスタントで稽古をして謡った」という。稽古といっても、この場合、師匠はその石本巳四雄しかいないであろうから、どこまで上達できたのであろうか。「肝心の石本が素人であるから、大分心細い話」だったらしい。
「だが、辰野隆(同・著名なフランス文学者)をはじめ、みんな、巴里の人にお能を見せるのだというので、張り切り」という高揚感も伝わってくる。
「一番難しい衣裳は」誰かがカンヴァスのような布を買って、そこの奥さんが縫い(どうゆう風に縫ったのか、興味津々)、なんとパリ在の藤田嗣治に頼んで絵付けをしてもらっている。藤田嗣治の家にその、ごわごわした布を持ち込む時には、茉莉も同行している。森鴎外の娘は、大正期の巴里の藤田嗣治に対面しているのだ。藤田を観察した眼に、茉莉流の感性が冴える。
謡の面々も、紋付袴は持っていたようだ。洋装も頑張って支度して行っただろうに、我が国の礼装も欠かさなかったわけだ。
というわけで、お能はとにもかくにも行われたのである。その様子は、ウィットに富んで書かれているが、私が今になって驚くのは、とにもかくにも公演ができたということである。
珠樹たちの謡(笑)と石本ひとりだけの舞、ということであれば仕舞であろうか。しかし、わざわざ能衣装(のようなもの)を仕立てているから、お能のエッセンスのようなものを伝えようと頑張って準備したのか。
ここのところが、最近になって気になるわけだ。

そして、しばらくして、パリ滞在中のニジンスキイ夫妻が、そのインスタント(?)能を観たいと、申し込んできたという驚きの結末である。夫妻が滞在しているどっしりとした豪華なホテルに一同は出向き(その時も茉莉は連れて行ってもらっている、その時に着て行った留袖の様子が素晴らしい)、ニジンスキイ夫妻や弟子たちや他の役者たちのいる広間で、彼等は能を演じたのである。
始まると「流石はバレ・リュッスの名人である。彼らの眼はぴたりと、石本巳四雄の爪先の静かな動きに当てられた」。

現代の、東大から留学しているパリの学者たちが、フランス人に能を見せようと、即席でもなんでもお能らしきものを演じることができるかといえば、そういうものを見聞きして育ったのでもなければ無理だろう。
その昔、大正の、如何にも教養人の青年たちの欧羅巴ではないか。

茉莉の着物は、「日本を発つ時、父親と母親が新調してくれた総模様の留袖」で「お納戸色(グレイッシュなブルー)に小豆色や青磁色、珊瑚色、白なぞで蝶と鳥の図案を大きく出した一越」。それに桜花を白で刺繍した帯に珊瑚色の丸ぐけを〆ていたらしい。鷗外夫妻の、子等に着物と洋服を選ぶセンスは一級で熱心であるから、さぞかし美しい拵えだっただろう。。。また三越で誂えたのか。超ぶきっちょなのに丸帯を自分で、綺麗に結べたのか不安(笑)、多分夫が加勢しただろう。留学中は普段は洋服である。
珠樹と茉莉もこの頃は、後年有名な離婚をして、茉莉が作家となりニジンスキイ夫妻のホテルへ向かうタクシイの運転手の様子までもを作品化するとは、思いもよらない一日であったろう。

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2014年07月21日

米寿ディナーに、乾杯。

昨夜は、我がお姑さまの88回目のお誕生日の、米寿のお祝いを家族でする。

凄いわあ、88年生きるって。88歳ですエイティエイトゥイヤーズオウルドですキャトルヴァンユイタンです〜。って、今は90代の方も珍しくないのですね。でも、この88歳は未だに一人暮らしを貫き、パソコンは私より早くから上達していたのでアマゾンで欲しいものをさっさか探すし、メカに強い。今回は歯の治療が長引き、ステーキは食べられないかも、ということで和食にしたが、調子は大分いいみたいでほぼ完食。(ホントはステーキが良かった・笑)。
小さい時から竹馬や自転車や木のぼりなど、男兄弟と遊ぶのが大好きでお人形やおままごとは嫌い。この世代の女性にしてはいち早く車を運転し始めドライブ旅行、地図が読める女。さすがに寄る年波でお転婆はできないが、最近は野球とサッカーをテレビ観戦しているので、W杯の試合の詳細は、私なんかより詳しい。
電話の長話、くだらない女同士の井戸端会議、甘いお菓子、なぞが嫌い。数独やパズルを解くのが大好き。
ドラマなんかよりドキュメンタリーが好き。映画『男はつらいよ』とかが嫌い。
・・・・などなど、こういう88歳もいるので、高齢者だって一括りにはできないんです。

最近は、歯の治療中は物が食べられず、いろんなものをミキサーで粉砕し牛乳を加え『ビミョーに美味しいものを作って』飲んでしのいだそう。自分で自分の介護食を作ったわけ(笑)。
もちろん、あちこち病気をしたりもするけれど。工夫が半端ない。
私も将来は・・・って、まったくできる気がしないです。バー

八芳園のえんじゅ
八芳園にて。。。





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2014年07月18日

今は疎ましい、自分で初めて買った絽の着物。

今日は、午後になってから、終わってしまったお盆のお墓詣りにバタバタと行き、生垣が茂ってしまい、他所のお墓まで侵略している枝を切ったり掃いたりした、いい子な一日だった。旧き日本映画の女優さんのように、夏紬に羅の帯で白いパラソルでお参りしましたわ。な、わけなくて、ユニクロのパンツに虫除けスプレーに手袋。

ところで、お稽古事などで着物に馴染みはじめての、最初の夏は、誰しも逆上ショッピングに走るものだ。(って私だけか。)私はとりあえず、絽縮緬の小紋を近所の染物屋さんで頼んだが、それが出来てくる前に7月になり、大慌てで実家のそばで、絽の小紋を超特急で作ってもらった。超セール品。それが若干目が肥えて、翌年には大失敗だったなと知る。そうして7年経って、絽の材質・染め・デザインの3点、どれをとっても超セール品だと自信をもって言える(苦笑)。疎ましいけど汚れる日専用にして、もういいや、と言いつつ捨てない。夏物の数は少ないから、何かのときに役に立つのではと、いじましい。
それよりも、夏帯が、最初のはホント酷い。白くて絽ならいいやってなもんで、とんでもない海外製みたいのをYちゃんも幾つか買って、後悔先に立たず二人組しているが、その夏帯失敗例は、また今度。
よく木村考先生などが、最初は慌てて買い過ぎない。段々着物をを知ると、がっかりなものが箪笥に一杯になるだけで、ごく少しづつで慣らしましょうと提言されているが。まったくその通りであって、つい目先の会などに合わせて値段で買ってしまい、安物買いの銭失いで自信喪失となる。。

淡いピンクの絽の帯
この絽小紋には、白い帯と決めていたが今年は淡い桃色の絽の帯。これも初期購入品であるが、染物屋のお婆さんが、ここは古い織屋さんで信用がおける(と西陣のメガネシールを初めて知る)し、もうやめるっていうから、と勧めてくれた。これは飽きない。飽きようがない、無地。無地で少しづづ変わり織になっている。白や水色ではないので、失敗したつもりだったが、後年気に入るようになった。まるでお見合い結婚の糟糠の妻みたいなハナシである。
ちょっと、淡い桃の夏の宵でしょう。って、無理やり思って、お稽古へ行く前に先週撮っておく。立て絽の帯揚げと帯〆は去年?ゑり正さんで、ごく淡い桃色のぼかし。

1年に半日くらい、普段着で着てあげる、可愛い着物である。(と、急に書いてて考えが変わったなり)。

(もっと、青梅白木屋さんで、Yちゃんと沢山拝ませて頂いた素晴らしい糊糸目友禅の絽塩瀬の染帯も紹介したいけど、著作権とかあるかなあ)。


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2014年07月17日

ENOTECA Olmo del Caucaso 美味しい夜

全然記事が整理できてませんが、まだ6月のワインとお食事の続き。
秋田市で『さい賀』の翌々日に行ったのが ENOTECA Olmo del Caucaso エノテカ・オルモ・デル・カウカソ。2年ぶりで楽しみにしていたお店。隠れたる(?)北の名店。オーナーのソムリエの佐藤さんの、陽気で柔らかいトークにも、寛げる。

我が家は誰も、ワインの名前も記憶できないし、チーズの銘柄とかも何回聞いても忘れるっていうわけなので、ワインはいつもこちらではグラスで、佐藤さんお任せで頂く。これが美味しくマッチ。
著名な方の来訪も多いみたいだけど、最近はどなた?とか下世話な質問をしたら、なんとサッカーのN氏でした(ビックリ)。みちのくでも自分探しホンモノ見極めか。

エノテカにて

エノテカ ホワイトアスパラ

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エノテカ2

エノテカ 魚

<ワインエノテカ お肉

お肉を前日にフレンチでこってり食べたので、ほんの少しづづと言ったら、フランスの豚肉と秋田の放牧牛(数が少ない)のしまった脂っぽくないお肉でこれが、何とも美味。鹿角牛だったかなあ、メモを失くしたわ。赤いクラシックカーのラベルの家族経営のシャトーのが、ホントにこっくりと、合うんだった〜。
他に前菜もデザートも、繊細で満足。

地方に、いいお店が沢山あるんですよね。若い方が良く頑張っていて。日本はまだ、捨てたもんでもないっていう気持ちに満たされる。
美味の記憶を辿る夏の夜なりける。













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2014年07月13日

誰に負けるかが大事、『熊坂』。(銕仙会7月定期公演・能)

昨金曜日夕方は、ゲリラ豪雨の合間を縫って水道橋の宝生能楽堂へ。銕仙会定期公演。

『三井寺』
幼いわが子がさらわれて行方不明になっている母が、しょんぼりと、哀しくも執念を含ませ旅している風情。子供が行方知れずになるって、昔はよくあったんだろう(現代でも拉致や誘拐などは後を絶たないが)。私は、日舞でも『隅田川』のような、生き別れの子を狂おしく探すようなストーリーが苦手。ベタな悲劇(既にして悲劇なものを、更に演劇化しているものが)苦手なんだわ。という私なんかの不安とは関係なく、雅やかに始まる。この、悲しみの母が美し。黒地に、春霞に松?みたいな、金糸の繍いの裾模様が品が良く見惚れる。まあ、いろいろあって三井寺まで探しにゆくことになる。三井寺行では、更に美しく着替えていて(悲しいわりにお洒落)これが淡黄から藤黄までの同系色というのか、至極綺麗。やっぱ着物の八掛は同系色の濃淡で染めるのが、断然上品だな、とか見ている私。こうゆう母ものに感情移入できないから、と思って。しかし、ふと面が、横顔を見せた途端、いきなりジーンときたりする。よくわかんない心理ですがきっと、3.11以来、あまり考えないようにしている幾多の母性の悲しみが、立ち現れたかもしれない。

さて子方(子役)のお坊ちゃまは、小学校1〜2年生の感じだが、しっかりしていて上手い。(どうして子供で、板の上に長時間構えて座して痺れないのか、と考えたりする。)その、鐘まで打ちたがる狂っている女の、出身地はどこか聞いて下さいと言う。おお、その住所こそ、人買いにさらわれる前にボクが住んでいた場所だよ!ママだ〜〜っていうめでたさ。ハッピイエンドなんで、母のハッピイカラーのお着物の終結がそこにもあるんだな。ふたりは、仲良く故郷へ帰ってゆくんであった。このおシテの方の発声は、私が観た数少ないお能の中では、異色というかオペラ的な感じがした。が、気のせいかも知れない。
多分、多くの子供の喪失は、現代にあってもハッピイエンドではない。だからこれは、そうあれかしとの切なる祈りが、橋懸りを帰っていったんだな、と思った。
(浅井文義・馬野訓聡・森常好・舘田義博・森常太郎・野村太一郎)

『熊坂』
お坊さんが岐阜県を旅していると(って、お能ってどんだけお坊さんが旅行してんのかと、毎回思うなりける)、土地のお坊さんが(お能って、お坊さん多すぎ)ある人の命日でもあるから庵に泊まって回向をして下されと言う。しかし、そこは仏像もなく大薙刀やなんかのいやに戦闘的なモノが置いてあって、仏堂っぽくもない。不審に思っていると、不用心な場所なんで云々の説明。やがてそこはただの草むらになり、土地の人がこの辺は『熊坂長範』の幽霊が出るって教えてくれる。その熊坂がどんだけ悪い人かって言うと、6歳だったかな?オジサンの物(馬かな?ヒアリング悪し)をくすねて市場で売ったのに味をしめ、って、まるで歌舞伎の白波五人男みたいなハナシであるが、大悪党。
そして熊坂(の亡霊)、がキラキラに華やかな装束で(緑が美し)声朗々と登場。奥州へ下る金売吉次一行に強盗に入るも、同行していた牛若丸(義経って、あっちこっちにいるのね)にやっつけられてしまったことを、ドラマティックにアクロバティックに語る。長刀を振りかざし、身を回転させ、もう牛若丸の敏捷なことたるや大変だったんだと。緊迫してきてゾクゾクして楽しい。こんな死に方をした俺様を弔ってね!と。
おシテの、足の運びが、すご〜くキレイ。清潔にして典雅。
要するに、誰に負けたかって、史上最強人気の義経に負けたんだからっていうこと。これは義経英雄譚というより、やはり誰に負けたか、どう負けたってのもヒロイズムでしょ?、そこに美学があるんじゃないかな。負けるなら美しく。・・・さて語るだけ語って、熊坂はまた、こんな負け方に悔いなしっていう風でもあり、悠々消えていきました。
(谷本健吾・村瀬堤・河野佑紀)
銕仙会

金曜の夜って、最近はぐったり疲れているんだけど、脳内で長刀振りながら勇躍帰って参ったんであった。
狂言は野村万蔵・野村萬『伯母ヶ酒』・・・これは、いろんな落語思い浮かんだり面白かったので、別に書きます。明日はW杯決勝なんで、寝ねばならぬ。時計





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2014年07月10日

一白水成(福禄寿酒造)が、美味しい夏。

6月に書いた、秋田市川反(かわばた)の『さい賀』で利き酒セット『NEXT5』(秋田の伝統ある蔵元の若手5人衆、らしい)を頂き、最初に買って帰ろうと思ったのが『一白水成』というお酒。盛夏を迎える前の、梅雨空を一掃するような、明るくスキッとした辛口で、これでいこうと。いこうってのは、お酒好きの知人恩人にお土産にしようと思ったから。

・・・・ところが。翌日、デパートにも物産館にも見当たらず、酒店回るも無しふらふら。もう時間も無いので、福禄寿酒造さんに電話をする。すると、秋田駅そばの(というわりには迷った)菅久商店さんというところ『でしか』扱っていないとのことだった。菅久商店さんに辿り着くと、な・なんと、一升瓶しか無いのであったこの時期は。一升瓶って・・・今、あまりプレゼントで使えないアイテムであって、お会いした時にお渡ししたら怒られるレベルの重さなので、至極残念ながら、その一升瓶を自宅用に買った。(時季によっては小さい瓶も出るとのこと)。

他のお酒が無くなったので、週末に開けました。美味しい〜〜〜っハートたち(複数ハート)。ってもう無くなるとこだけど。
一白水成


私は昔から、日本酒が大嫌いだった、っていうか飲めなかった。しかし、お茶を再び習い始めたたときの先生がお酒好きで、『あなた、お茶事で酔っぱらうなんざみっともないわよ』みたいな豪快な方だったので、お茶事の前に飲む練習をしたんだっけ。それでも、そんなに好きにはなれなかったが、最近好きになってきた。ビールの缶を読むと添加物もあるし。お米と麹だけっていうのが、いいな〜と思って。小ぶりのワイングラスに2杯程度が、ふんわり愉しい。この、一白水成は、変な白ワイン飲むより遥かに、良いって気がしてくる味(比較するのがおかしいけど)。

NEXT5の第2弾は、どれにしようかな〜♪。やっぱり、あらゆる古典(?)継承ワールドに於いては、私は、新しい世代を応援したい。チャレンジャーなくして伝統は繋がらないから。既に素晴らしいものは、ファンも評価も固定化してるし私なんかがお金投じるまでもないけれど、旧いものを新しく受け止めるって偉業と思う。


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2014年07月08日

桂雀々と三遊亭歌之介『こってり!!濃厚落語会』で、たっぷり笑う。

先週金曜夜は、内幸町ホールの桂雀々&三遊亭歌之介の二人会『こってり!!濃厚落語会』へ。最近笑いが欠乏していて、救いを求めて?足を運んだが、いやあ運んだ甲斐がありましてん。わーい(嬉しい顔)

前座さんはなくって、いきなりお二人がステージに立って、落語会の現状と展望みたいなテーマで掛け合い。これがもう、おかしかった。現況の落語家の人員構成の表が大きな模造紙にコピーされていて、それを指し示しながらあ〜だこ〜だ。それにしても、この世に落語家を生業とする人が770名もいることにビックリ。皆の頭の中には、食えていけるのかなあとゆーことが駆け巡るがやはり、「そりゃもう、笑点メンバー、ためしてガッテン、家族に乾杯、の人だけですわ」というような速攻で笑い。他にも各会派の役職とか、選挙の有る無しなどツッコミどころは満載の業界であり、もうお腹が痛くなる(笑)。そして、当日と同時進行で開催されている落語会(同じオフィス主催)だけでも幾つもあるのを、その表を見ながら会場のキャパや入場料などを検証(笑・笑)しつつ、この二人会の末永い継続を願うのであった。会場は前回のシビックホールより小ぶりになったが、個人宅でもいいですなあ、なんて。雀々師匠が某有名人ご家庭で、一席もたれた事などもフラれる。又その日はまだ旬だった、野々村議員がく〜(落胆した顔)ネタも、当然出た(今、皆落語家やっているけど、あと2週間もしたら使えんようになるネタですわ、とね)。ネタにされているネタとして、ネタにしていた。笑い過ぎたわ。

三遊亭歌之介 『おとうさんのハンディー』。勉強が大嫌いだった学生時代の話のマクラで沸かせる。マクラが長い、笑いつついつ始まるんだろうとか思う。が、マクラが続いてくれていいとも思う(笑)。息子の受験の願掛けでゴルフ断ちをしたお父さんゴルフの禁断症状。我が家なんかも、事情が重なってできないこともあるから、爆笑。

桂雀々 『遺言』。父親の臨終に間に合わず、手紙を貰って気にかかっていた息子が、父が遺した最後の言葉を探るべく、縁者の家を回る。これがもう、喧しいオカシイにぎやかしい大阪的な陽気な(父亡くなってんだけど)親戚周り。いったい、オヤジが遺した言葉てなんやったん、アレ?忘れた。(笑・笑)。この、別離とか悲しみの、はるか上を行く笑いってのが有る世間ってものの活写が、なんかいいんだわ〜。
(仲入り)

三遊亭歌之介 『替り目』。打って変わって古典。いろんな人で聞くが、私はあまり好きな噺ではなく、始まった途端笑えるか不安になったが、杞憂(笑)。なんといっても、その前に40代で取った自動車教習所の経験のマクラで、大いに笑わせてから入るから、まあしっとり終わってよいわけ。
緩急がないと、顎が外れるし。
(ワタシが二つ話すのに、出演料は折半なんですよ〜と、掛け合いしていたが、今回は歌之介師匠が2題)。また行きた〜い。
雀々・歌之介
怒涛な一週間の厄払いをした、お笑いな夜で、至極満足。これで3千円だから、安いなあ。そういや1万円とった落語会の話も出てたわ(笑)。

(行く前に実家に慌てて寄って、軽食をつまんだのに、笑い過ぎるともうお腹が空いてたまらなくなる。夜の新橋界隈を歩くも居酒屋しか無いから結局、新橋亭であんかけ焼き蕎麦と杏仁豆腐。杏仁豆腐はお土産にも買う。)









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2014年07月06日

ポーラの着物日和

昨日みたいな、それほど暑くもなく曇り空の7月。
忙しくて、夏の襦袢も出していなかったので、簡単な半襦袢に、黒地のポーラ(サマーウール)の着物に半幅の紗の博多帯で、お買い物とお稽古へ。

このポーラは、着物着始めたときに、実家のそばの呉服屋さんで(ポーラは結構暑いんですよ、と言われつつも)作ったが、やっぱり暑いから出番が少ない。プロのゆうことは聞くもんだった。しかし暑くない夏の日には(あまり無いが)、着られる。それに前日の夜更かしで、お太鼓と帯揚げを背負う気力は出ないから、貝の口に結ぶ半幅でさっくりの、普段着気分で。帯締めは水色の夏物。せめて水色をどこかに投入しないと暑苦しいわあ。ポーラ自体は結構透ける布。
ポーラ

ポーラ、と言うと、アマポーラ〜♪という歌を思い出すわね、なぜか。
ところでこのような、地味なウールなんかの時に、髪がボサボサだったりすると目もあてられないから、カーラーもしっかりかけてキチンと結うようにしています。髪をセミロングよりもやや短めにしたら、すごく短時間で結えることに気づく。結髪問題も別項で、いつかまとめたいが、いつになるやら。

[さて、auが遂に、自分とこがブログのサービスをやめユーザーが他のブログに移行していることのリンクを貼るのも、6月末でやめるってことの、告知を忘れていました。当ブログもdionではなくseesaaになっております。]
posted by プチ・ニコラにボンジュール at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 正調・着物道邪道編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする